昨日は人と自分を比較しない事が人間関係で余計なストレスを溜めないために出来る一番簡単な方法だと書きました。
人を変えようと頑張るよりも、自分の考え方を変えたほうがはるかに簡単だからです。
人は人、我は我と自他の違いを明らかに認める。
それが一番簡単な方法である事は間違いないのだけれど、
実際には人の行動や言葉が氣になって、なかなか綺麗に割り切る事が出来ません。
それはどうしてでしょうか。
人と自分を切り離せない理由
これを読んでいる方は、日本の教育を受けて大人になった方がほとんどだと思います。
日本の教育はよくできたシステムだと思いますが、基本的に「あなたは出来ないから学ぶのだ」というスタート地点にたって教育されます。そして比較の中で教育されていきます。
そうすると
あなたの感覚よりも知識の方が重要だ
あなたの考えよりも多くの客観的意見の方が正しい
といったメッセージを知らず知らずに受け、
結果的に
あなたは今のままでは何も出来ない。だから、あるがままであってはいけない
というメッセージを無意識のうちに体に染み込ませてしまっているのです。
このメッセージに従順な人であればある程、自分という存在と他者の存在の境目を明確に引けなくなってしまいます。
この状態では、例えば人から自分の仕事に対して何か意見を言われた時に、素直に受け止める事が出来ずに不快感を感じてしまいます。
これは、相手の意見を受け入れたら自分というものが何も無くなってしまい、相手に支配される様な感覚になるからです。
これが人間関係のストレスの正体の一つです。
このストレスから脱して、人は人、我は我と思える様になるには、他者と自分の境界線をきちんと引けるようになる事が必要になります。
この境界線は他者を拒絶するような消極的な線ではなく、自分をいうものをしっかり認識して他者から自立するという積極的な意味の線です。
自立した私を感じましょう。
では、どうすれば良いのでしょうか。
自分と他者の境界線を引くために
先ず、あなたの中にある氣質の種に気づいて下さい。
日本の小さな島国の中でほぼ同じ義務教育を受けたにも関わらず、目の前の誰かとあなたは異なる個性を持って生きています。
それは成長の過程で影響を受けるのは教育だけではないからであり、また、持って生まれた氣質が違うからです。
下の図を見てください。
氣質学では、持って生まれた氣質を「その人の種」と言っています。
種は育つ過程で教育やその他の環境の影響を受けて育ちます。
人それぞれ違う氣質を持って生まれていますし育つ環境も違うので当然それぞれ違う人に成長します。違っていて当然なのです。
私が氣質学の講座をやる時にヒマワリの話をよくします。
同じヒマワリの種でも、肥えた大地に植えた時とプランターに植えた時では花の背丈も大きさも違ってきます。ヒマワリの種はあなたの氣質です。植えられた環境はあなたの今まで生活してきた環境です。大地で大きく高く育ったヒマワリは夏の風景によくあい、道行く人の目を楽しませるでしょう。窓ごしに見えるベランダのプランターで可愛らしく咲いたヒマワリは、見るたびにその家の人たちを癒す存在になるでしょう。どちらにも優劣はありません。比較する事ではないのです。という話です。
自分の持って生まれた氣質を知り、それを感じてください。
そして、相手の意見を受け入れたとしても自分というものはしっかりあるのだと感じて下さい。
それが感じる事が出来れば、「明らかに認める」事が簡単に出来るようになると思います。